09≪ 2017/10 ≫11
12345678910111213141516171819202122232425262728293031
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2009-08-01 (Sat)
少女たちはどこからやって来て、どこへ去って行くのだろう―。


人里離れた深い森。高い塀に囲まれたこの森の奥深くには、謎めいた学校(エコール)が存在していた。
6歳から12歳の少女たちが暮らす学校には、大人は年老いた召使いと2人の美しい女性教師だけ。男性はいない。
森の外へ出ることは厳しく禁じられ、それをやぶった者は「一生をエコールで暮らすことになる」と噂されていた…。



徹底的に『究極の美』を追求した映画。
映像の芸術性・美しさはピカ一です。

出てくる少女は皆美しく、けれど目を見張る程の美少女でもない、というのが極めてリアル。
顔の造り、というよりは、その仕草や声、そして肉体の儚く、それでいて生命力にあふれた美を愛でるのが正しい観賞方法かと。(何だか言い方が物凄くイヤらしいですが。笑)
特に、少女たちの『脚』をいかに美しく見せるか―スカートの丈、なびき具合、動き、光の当てかた―に尽力しているのがよく分かります。


この説明ではまるで小児性愛者向けのロリータ映画のようですが、そこはやはり監督が女性ということもあり、下品なエロティックさとは無縁。
少女から女性へ移り変わる寸前の、儚い一瞬の姿をよく表現できていると思います。


これはあらゆる意味で完全に女性向けの作品ですね。
はっきり言ってこの作品の本質は、男の感性では絶対に理解できないでしょう。

『少女』という存在が、ただ純粋可憐なだけではない、ということを身を持って知っている女性だからこそ、この作品の真価が問えるのです。



ストーリーは、「少女から女性への変態(形を変えること)」を描いたものである、ということが漠然と理解できるだけで、その他のことは一切説明されません。
舞台となる『エコール』は一体どこにあるのか?登場人物は皆フランス語を話していますが、しかしエコールがフランスのどこかに設立されているという明確な確証はありません。
時代はいつなのか?街灯やレコードプレーヤーがある以上、大昔というわけでもありませんが、しかし現代なのか?近代なのか?それは一切わかりません。

そもそも、『エコール』とは一体何なのか?少女達は棺に入れられてエコールに運ばれてきますが、彼女たちはどこからやってきたのだろう?
メインキャラクターの一人、イリスはしきりに「弟」の存在を口にしますが、それ以外の少女達は、家族についてまるで言及していません。彼女たちに家族はいるのか?それとも孤児たちが集められた学校なのか?分からないのです。

時々観客に投げ与えられる情報も、謎を解き明かすヒントになるどころか、より一層謎を深めてしまうようなものばかり。観客もエコールで暮らす少女と同じように、エコールから逃げ出そうとする(=この映画の謎を解き明かそうとする)ことを試みても、結局森で迷子になってしまうように、謎は謎のまま。すべての真実は、暗い森の奥深くに隠されてしまっているようです。


まるで、「映画」というよりも「動く写真集」といった風情のあるこの作品。
明確な説明は一切なされない、異常なまでに寡黙なこの作品は、観る者の感性と想像力にすべてを委ねてしまっています。
「わけわからん。つまんない。」と言うのも一つの感性。「チャイルドポルノのようだ。けしからん。」と言うのも一つの感性。その感性はその人だけのものですから、それを他者が否定することも、またそれを他者に押し付けることもあってはなりません。
私の感性では、これは「ストーリーを追いかけるのではなく、映像に、音に、その究極の美しさに魅了される為の作品」。
とにかく、この作品が持つ、無垢にして妖しい美しさに酔いしれてみて欲しい。


女性の中の『少女』の部分を刺激する、何とも中毒性の高い映画です。


監督 ルシール・アザリロヴィック
2005年 フランス


(2008.10.11 記)

スポンサーサイト
| *Movie* | COM(0) | TB(0) |







管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。