07≪ 2017/08 ≫09
12345678910111213141516171819202122232425262728293031
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2010-01-11 (Mon)
「17歳のおちかは、実家で起きたある事件をきっかけに、ぴたりと他人に心を閉ざしてしまった。ふさぎ込む日々を、江戸で三島屋という店を構える叔父夫婦のもとに身を寄せ、慣れないながら黙々と働くことでやり過ごしている。そんなある日、叔父・伊兵衛はおちかを呼ぶと、これから訪ねてくるという客の応対を任せて出かけてしまう。おそるおそる客と会ったおちかは、次第にその話に引き込まれていく。いつしか次々に訪れる人々の話は、おちかの心を少しずつ溶かし始めて――。」


「哀切にして不可思議」とは帯のあおり文句ですが、まさしくその通り。
この世で一番不思議なのは、この世に生きる人間とその心なのかも知れません。

わりと「この作品は恐い!」という感想を聞くのですが、個人的にはなんら恐くありませんでした。ホラーとか苦手なんですけどねぇ。
(恐さで言うなら、同じく宮部さんの「あやし」のほうがよっぽど恐かった)
「おそろし」いと言うよりは、切ない、哀しい、苦しいと言った感じです。

たとえば亡者の怨念というのは、それを向けられた当事者にしてみれば大変な恐怖でありますが、それとは関わりのない第三者からすれば悲しいか可笑しいかのどちらかになるでしょう。
人が人を怨む・憎むにはそれなりの理由があり、怨んだ者・怨まれた者の両者を公平に見ることのできる立場にさえ立っていれば、そこに憐憫や嘲笑を抱いたとしても恐怖は感じないものです。(少なくても、私はそうです。)

この作品もそれと同じです。
主人公・おちかを始め、登場人物たちは心のどこかに傷を負い、後悔や罪悪感に囚われているのですが、そのためどうにも感情移入しづらく、客観的な目で物語を眺めることになりました。

そこに浮かびあがってきたもの。私の目に映ったのは、人間の業(ごう)。その哀しさ。

人間というものは皆、生きていく道の途中で度々間違いを犯し、罪を重ねてしまいます。
それは人間として産まれ生きていく以上仕方のないことで、一切の罪を背負わず生きていける人なんてこの世には存在しません。
罪だと知らずに犯した罪、知っていながら犯した罪、後から思い返して「あれは間違いだった」と気付く罪、最後まで気付かないままの罪――。
己の中でのみ完結する罪もあれば、他人を巻き込んでしまった罪もあるでしょう。
そして傷つき、後悔し、己を責めて苦しんだとしても。

また、罪を犯す。
人は、死ぬまで罪を重ね続ける。

それが人間の業。
逃れようのない、哀しい事実。

身を苛むような、そんな大きな罪は、人生で一度あるかないかでしょうが…。
でも、ただ気付いていないだけで、もうとっくに自分は取り返しのつかない間違いを何度もやらかしているのかもしれない。
近いうちに、その間違いは形をもって姿を現すかもしれない。
そして、大きな罪を背負込むことになるのかもしれない。
その可能性は誰の中にも存在しているわけで…。



ひとつひとつのエピソードは面白く、場面描写の巧みさも相変わらずの宮部さんクオリティですが、どうもラストが腑に落ちないと言うか…
疑問や謎や、すっきりしないものが残りました。
これの続編が現在読売新聞の朝刊で連載されている「三島屋変調百物語事続」なわけですが、そこでそのもやもや感が解消されることを願います。


(2009.02.22 記)

スポンサーサイト
| *Books* | COM(0) | TB(0) |







管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。